ただの日記

すいかの子供

本日土曜日なのに自宅にてパソコンに向かっています。実は明日祖父の17回忌があり法事です。愛知県方面の親戚も帰省したりで身内がたくさん広島の叔父の家に集まります。正直宗教的な知識はあまりない僕はなぜこうした行事が行われるのか?しかも3年目とか7年目とかそうした決まりがあるのか?という事等は恥ずかしくも知りません。けど以前祖母の法事の時にお坊さんがお経を上げて下さった後お話でこんな事を言われていました。「法事に何をするというのでもなくこうして親族一同がみんな集まって元気にやっていますよ、という事を亡くなった方に知らせてあげる。そしてみんなで亡くなった方の事を思い出してあげる、というのが大切な事なのです。」と言われてました。たまに思います。僕にも当然父と母がいて、そしてその父と母にも父と母がいて、そしてその父と母にも父と母がいて・・・と延々と続く訳です。どんな人だったのか会ってみたい気がしませんか?そして行き着く先はいったいどうなっているんでしょう???不思議な事で答えはわかりませんがいずれにせよそうした方達のおかげで今の自分がある。ご先祖様に感謝の気持ちをもってお墓や仏壇に手を合わせるというのは神聖で素敵な文化ですね。
セミナーから帰ってからというもの施術内容ももう一段階上ったような気がします。とても楽しいですね。もちろん以前から楽しかったので続けているのですが更に充実感があります。それは特別なテクニックをどんどん使っているからという訳ではなく、前回までの日記でお書きしたように施術に対する気持ちの根本を改めて見つめなおす事が出来た事がとにかく大きいです。そして体をより大きな枠組みで診ることが出来るようになった事。特に整体というとどうしても筋・骨格系に意識が向きがちでそれは間違いではないのですが、新たに筋膜やその他体に存在する膜(体の各器官は様々な膜で連結しているのです)の見方やリンパといった事からも体を診ると人の体もとても興味深く感じます。
そういえばT先生はこんな事も言ってました。僕がどこまで勉強しても勉強の終わりがないこの仕事に対して「本当にすごい人がいっぱいいるなあ・・・。どこまで勉強しても勉強してもそうした人が現れて結局行き着くところはないんだなあ。僕でやっていけるのかな・・・?」なんてちょっと弱気な事を言っていると「大丈夫ですよ。壁にぶち当たって何かが必要になっても、真剣ににそれを追いかけていればその必要なものが自然と湊さんの前に現れますから・・・。」と。そう言えば度々日記に登場するアントニオ猪木さんもこんな言葉を残されています。「天は必要な物を、必要な時、必要なだけ与えてくれる」と。天は次に僕にどんなものを与えてくれるのでしょうか???