スピリチュアル

今週も規則正しく仕事をさせて頂き、夜海田での仕事を終えたらその足で真面目にスポーツジムへ通い、帰って勉強しては夜(夜中?)2時に就寝。朝7時前後に起きるという日々が続いております。
先ほどはテレビドラマ「はだしのゲン」を見ておりました。悲しい話です。愛する肉親が目の前で炎にまかれながら死んでいくとは耐えられません。そして戦争や原爆でそんな方々が多数いらっしゃったとは・・・。戦争を知らない世代の僕達も改めて現代の平和に感謝して、日々生活しなくてはならないとつくづく思います。
先日、「オーラの泉」で有名な江原さんの文庫本を買ってみました。特別その番組にはまっている訳でもなければ、以前からファンであった訳でもありません。なんとなくテレビでお見かけした時に「良い事言われてるなあ・・・」そう思っていただけです。
そしてその文庫本も最初の数ページを読んで再度そう感じ、何気なしに手にしただけです。
ただ、何気なしにでもなんとなく頭にあったんでしょうね。先日神戸であったデュレル先生のオステオパシーセミナーのお話を書きました。そして手前みそながら僕に才能があるというありがたい言葉を下さった話をお書きしました。
しかしながら謙遜ではなく僕のテクニックが他の人より決してうまかった訳ではないはずです。事実デュレル先生も別の言い方で「天性のエネルギーがある」という言い方をして下さいました。
それ以来なのです。具体的にそれはどういう事なのか考えてみるようになりました。科学的に考えて、人間というのは磁気体だし体温もある。神経の伝達はプラスマイナスの電気信号で行われます。体の中を抽象的ではありますがエネルギーが流れているという考え方は実際ありますし、そうした事を科学的に説明した書物もあります。
しかし今回は少し精神的な部分に考えをやってみました。別に何かの信仰や宗教に興味をもつという事ではなく、もう少し身近に自分が行う施術に対して、技術の高さ以上のものが施術結果に影響を与えるのではないだろうか?と。
ある意味それは当然の事だと理解はしていました。たとえば女性を例にとっても好きな人から手を握られれば安心し、嫌いな人から手を握られると嫌悪感を感じるでしょう。おなかを痛がる子供にお母さんが手を置いてなでてくれると痛さもとんでいくかもしれません。
施術者は患者さんの信頼を得てなくてはなりません。デュレル先生も言われてました。「パワフルな人にはある意味パワフルに、ソフトな人にはソフトに、子供には安心感を持ってもらうように、お年寄りには敬意を払って施術します。そして施術を行っている最中はその患者さんの事だけに集中し、その患者さんの一番良い所を思ってあげて下さい。」そうおっしゃっていました。
そしてそう思える為には自分自身の人間的な大きさ、人の心の動きを感じてあげられる知識と感性が必要だとより強く感じるようになりました。先日オステオパシーを主に施術している理由を述べた時、説明責任の話を書きましたが、但し書きで説明責任を超えた、言葉の要らない信頼感もあると思うと書きました。患者さんが完全に施術者を信頼して下さり、ただ施術者に身を委ねるだけで症状も軽減してしまう。そこまでいくと素晴らしいですね。
僕は技術的にも人間的にもまだまだですが、そうした域に近づけるように技術はもちろん、そんな精神部分についても色々勉強してみたいと思う訳なのです。