オステオパシーについて9〜休憩3

 さて、続きです。本当に、今日こそ書き終えます。

 事を始めるには「勢い」も必要です。計画期間は短かったですがとにもかくにも「ソフト整体のどか」は船出をしました。店名は以前お書きしたように知り合いの女性スタッフが名づけて下さったものです。(のちに不思議な縁が生まれます)

 今冷静に考えてみると、倉敷店、呉店共にそれ程悪い始まりではありませんでした。まずは「新規」、とにかく知って頂いて最初に足を運んで頂く事が大切な訳ですが、岡山は圧倒的な広告媒体のおかげで問い合わせは結構頂きましたし、呉は呉で祖父の代からの古家で祖父は自治会長までしていた人ですから、田舎という事もあり、孫が帰ってきて何か始めたらしい…というのが知れ渡るのにそれ程時間はかかりませんでした。

 倉敷と呉を往復する生活の中、個人事業主としてお店の運営の事を考えなくてはいけないのですが、同時に手技療法家としての自分も確立してきて施術に対する効果とかそうした事も考えなくてはいけません。

 そんなある日、オステオパシーセミナーの封筒が倉敷のお店に届きました。テーマは仙骨。おしりの辺りのたった一枚の骨です。宛名は、結果僕が10年以上現在も所属する事になる日本オステオパシープロフェッショナル協会からでした。

連絡をして参加してみたのですが、その内容の深さに大きなショックを受けました。たった一枚の骨に丸二日かけて話を聞いてそれでもまだまだベーシックの内容だというのです。その後同会が開催する国内、海外講師による国際セミナーを数受講していきました。同会の目指すところ、要求される知識や技術は世界水準でかなり高く、指導もそれだけ厳しいものでした。研修費用も大変です。とにかく無我夢中でついていきました。

 慌ただしく月日は流れ、私事ながら結婚もして、それを機会に自宅開業ではなく広島にもちゃんとお店を構えようという事で現在の広島県安芸郡海田町にて広島での仕事を本格化する事にしました。

広島のお店を軌道に乗せるために倉敷に入れる日数も減っていたし、これを一生続けていくには体力的にもスタッフの事など色々問題もあるので悩んだ末、約6年運営した倉敷店を閉店する事にしました。(今でも月一度はその当時のクライアント様10名弱を倉敷のある場所をお借りして施術しています。)

 倉敷閉店のこの年は色々な事がありました。残念ながら8年の闘病を経て母親も他界しました。亡くなると戒名というのを頂くと思うのですが、お坊さんから「芳」の字を入れたと言われました。お母さんの話や人柄を聞いて「のどか」という意味を表すこの字を入れたと話されました。当然僕の仕事の事やお店の事は知りません。とても不思議でした。こんな事を聞かされるとお店の名前もそう簡単には代えられないかな…。

 駆け足になりました。なので現状は海田のお店でシンプルに僕一人で運営、施術を行っております。呉の実家も多少交通が不便ですがお時間やその他ご都合合う方は対応しています。

 サラリーマンと自営業者の違い、この業界の事、オステオパシーやこの仕事に対する思いも書こうと思いましたが、長くなったので、また「休憩」として書いていきたいなと思います。

 以上、休憩はおしまいです。長らくの拝読ありがとうございました。

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