オステオパシーについて8〜休憩2

 さて、前回僕がなぜ手技療法の世界、またオステオパシーに辿り着いたか開業前までを書いてみました。今日はその続きです。
 半ば導かれるように整体学校に申し込みをした僕ですが、その面白さに虜になりました。人間の身体の構造がどのようになっているのか?(解剖学)、それらの構造がどのように働くのか?(生理学)、どのようになってしまうと病気や悪症状を出してしまうのか?(病理学)、座学は非常に興味深く技術練習もぎこちない中でも少しずつ形になっていきました。
 方や職業訓練学校に通ったり、資格試験を受験してみたり次の就職についても準備していました。短期的な仕事をしたりもしました。(生命保険の営業お手伝いをしていた事もあります。あれは大変ですね*1 少々は詳しいので気になっている方聞いて下さい)
 そんな中「オステオパシー」という言葉を聞きました。非常に施術効果の高い手技療法で、世界的にもその有効性が認められ、アメリカでは医師と同等資格らしい…と。倉敷の整体学校で研修を続けながらも(温泉施設などでも働いておりました!)、大阪にあるオステオパシーの学院に入学しました。当然毎日通うという形は出来ないので1ヶ月数日という授業を1年間受講した訳です。オステオパシーの主だったテクニックを教えて頂きました。
 道具(技術)はそろっていきました。そして益々手技療法の世界に引かれていったわけです。
さて、本格的就職活動をと、考えた時にやはり踏ん切りがつきませんでした。就職となると、地元でかつ出張があまりなく、ましてや転勤は出来ない、となるとなかなか難しい状況です。入院生活を送る母親の介護や手続き関連は自分で全てやると決めていました。
 それなら、いっそ自分でこの仕事を開業してみようか。楽しいし、人の役に立てる仕事はいいなあ。自営業という形だと時間的にも自分で調整できるから母親の事も診ていけるかなと考えました。
 当然、自分でお店を持って成功するなど甘い世界ではないだろうし大変だろうとは思っていたのですが、他の選択肢はありませんでした。ただ、あえて言うと英会話スクール勤務の時にお店の運営というものについて色々経験出来ていたのが少し後ろ盾になっていたかもしれません。
 正し、いきなり呉で開業するのは知り合いもおらず不安なので、倉敷で開業をして2〜3日学院の勉強会や開業ノウハウを仰ぎながら、倉敷については僕のいない日を学院の仲間のスタッフの皆様がお手伝いをして下さり、残りの数日呉に戻って自宅の一室を使ってご近所の方や呉で営業活動していくというある種無謀な形態をとりました。
 結果からいうとかれこれ6年間、倉敷と呉を行ったり来たりする生活を続けました。いわゆる「定休日」はありません。当時僕のブルーの愛車「デミオ」は24万キロ走ったところで動かなくなってしまいました…。
 長くなった(~_~;)。これちっとも休憩ではありません。まだ、現在に辿りついておりません。もう一回休憩にしますか…。終わるんかなこれ。
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*1:+_+