オステオパシーについて7〜休憩1

 今日は公言通り、休憩として「なぜ僕がこの道、それもオステオパシーに引かれたか?」について書いてみたいと思います。自分の事を書くというのは恥ずかしいものですが、この質問結構頂くんですよね。施術中でも良くクライアントさんから聞かれます。技術もそうだけどやっぱり施術者の中身が気になるんですよね。確かにそうだと思います。ちなみに今日4月12日は僕の誕生日でして、偶然ではあるのですがテーマとしては丁度良い日かもしれません。
 まず、僕は今日で45歳になりまして…、歳は重ねていきますがこの仕事には年齢を重ねた方が多少威厳も感じられて良いかもしれません。生まれは実は広島県尾道市です。海に山に開放的で、映画の舞台でも有名なように少しノスタルジックで大好きな町です。僕も自然児で泳ぎに釣りに活動的でしたが、小学校4年生の時に両親が離婚してしまいました。
 例年のお盆通り母の実家の呉に行くものと親戚の車に乗り込んだまま、尾道の実家には帰る事はありませんでした。
寂しくはありましたが呉で出来た友人も楽しい人ばかりでしたし、勉強も嫌いではなかったので広島市内の高校に進み、大学で岡山県に出させて貰いました。母一人の経済力を考えると本当に苦労を掛けたという気持ちです*1
 大学でパソコンなど習い事を始めて、こんな風に沢山の人が出入りする職場は楽しそうだな、と思うようになり、資格学校や英会話学校などを回り、ある英会話スクールに入社した訳です。
 大変ではありましたが同世代の社員が多く、今でもお付き合いさせて貰えるほど人間関係は良かったし、取り扱う商品としては悪いものではなかったので人様の応援をするという意味では悪い仕事ではなかったと思います。
 そんな折、約4年程過ぎた時職場に電話が入りました。母がくも膜下出血で倒れて病院に運ばれたという内容でした。手術をするに当たり僕の承諾サインが細かく必要で、急いで駆け付けましたが、手術後の予後はあまりよくなく結果ほぼ全身は動かない状態で介護が必要となりました。
 ご家族にご病人様がいらっしゃる方はご存じだと思うのですが、最近の病院はシステム的で急性期、リハビリ期、慢性期などで病院の移動が頻繁にあり、病院からの連絡に備えようと思うと結構大変です。仕事も休暇を頂いたりしながら粘りましたが約5年で退社させて頂いた訳です。
 介護の話などが絡むと色々な現実がある訳ですが、苦労も掛けたし自分が出来る事はやろうと思って病院に通う毎日をしつつ、ふとリハビリに何か役立てる事はないかな?と考えるようになりました。
自分自身もサラリーマン時代には体調を崩した事もあったし、身体について色々興味もありました。そして岡山と呉を行ったり来たりする中で、倉敷の整体学校に申し込みをした訳です。勿論、それがとても自分の仕事になるとは思わないまま…。
 う〜ん、長くなった、区切ろうかな。しかもちょっと内容重いかな。すみません。でも過ぎ去れば色々良い経験が出来ました。次回がある意味本題、開業〜現在です。今日はおしまい。

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