叱られるということ

庭に咲いた薔薇

まず始めに17日付の日記でコメントを下さっていた「ぷにっ」さん、遅ればせながら今日拝見致しました。お返事お書きしております。遅れまして大変申し訳ありません_(_^_)_

さて、昨日夜中に呉に着きました。移動曲リストは以下のとおりです。
サザンオールスターズキラーストリート」DISK1,2
・エリッククラプトン「ワンモアカー、ワンモアライダー」
少し久方ぶりにキラーストリート聴きました。僕は悩み事があったり、テンションが下がると口数が少なくなります。だから昨日は大きな声で歌いました。「セイシェル」、「彩」を大きな声で歌いテンションを上げ、「山は在りし日のまま」で原坊に癒され、「ロックンロールスーパーマン」で勇気をもらい、「BOHBO No5」で闘志を燃やし、「限りなき永遠の愛」で泣くのです。

日曜日は国民宿舎サンロードの学院が運営するサロンに4時間ほど入ってきました。施術の合間、部屋を見渡していると掛け軸のようなものがかけてありこのような言葉が書いてありました。「誉められて喜ぶのは当たり前、叱られて喜ぶ心をもとう」こんな言葉です。
僕は人に対して本当に冷たい事だと感じるのは「無視」だと思います。その人に興味を示さない、初めからそうならまだしも「これ以上言っても駄目だ、もう放っておこう」と思われたらそこで全てが終わりです。その人の成長はそこで終わってしまうだろうし、お互いの付き合いもたぶん続かないでしょう。
しかしながら「叱られる」という行為は面白くはないものです。僕も振り返ってみて、親、知人、上司、目上の人等から叱られたり指導を受けた時、特にそれが自分の納得できない内容の時は(明らかにずぼしの時は結構へこんでしまうたちなのですが(>_<))もちろん面白くないですし、色々悩みました。けど、周りの人って結構ちゃんと見ているものなんですよね。だから全てとはいわなくても(全てをまるまる受けて入れる事が出来るほどまだまだ人間が大きくもてないこともありますが・・・)
注意された中のいくつかでもいいので聴いてみるようには心掛けています。
それと何より内容はどうあれ、人が真剣に怒ってくれるってありがたいですよね。そんな事を感じて、その掛け軸にたまに目をやりながら仕事を続けたのでした。